2005年10月10日

映画「チャーリーとチョコレート工場の秘密」とメトロセクシャル

「チャーリーとチョコレート工場の秘密」を見てきました。
座席からチョコレートの匂いのする六本木ヒルズで。
匂いました、とてもチョコレートの匂いでした。
でも3分で慣れてしまって、上映中は全く認識できず。

チャーリーは激かっこよかったです。
良い子だけど、良いだけじゃないぜあれは(チャーリーの)嫁取り物語ですかだめ大人ワンカ

だめ大人でしたね、かわいい。
原作にはないエピソード部分(父親のトラウマ+「家族を捨てろ!」と迫ってみたり+チャーリーと決別してみたり)だめ大人全開の部分は予想を越えた楽しさでした。

そういえば。
私はメトロセクシャルという言葉を
独身でどちらかというと高収入の、それなりに人間的なお付き合いはあるけれど恋愛を核家族的な意味での婚姻制度(※1)に結びつけられない人
(※1 恋愛は結婚にむすびつく、結婚とは家庭を築くための十分条件であり家庭は子供を育てる場であるという考え方。この場合、伴侶は異性から選択する)
セクシャリティーは「基本的に異性を対象にしている(例外もある)」けれど基本的に個人主義が強すぎて最大の関心は自己に帰結する人、という意味合いで使っていたのだけど、
調べてみたらこの単語、日本ではかならずしもそういう意味合いでは使われていない模様。
なんていうかスキンケアとかする男性に対して使われているみたいです。
どちらかとゆーと雑誌上なんかではポジティブな意味で。
う〜ん。意外でした。
私はかなーりネガティブな意味で解釈していたのです。

メトロセクシャルというと私のイメージではイコール、
「ファイトクラブ」の主人公のタイラー・ダーデンじゃない方って感じ。
(主人公の名前はジャックだと思ってました!
 ↑「ファイト・クラブ」自体はあまり好きではないけれどこの記事、とても楽しく読めました。)
ファイトクラブの主人公は独身で一人暮しで恋人いなくて高級家具を買い集めてて
生活には満足してるようなしてないような根本的なところでは全然満ち足りていない人。

ずっと一人称で語られる物語「ファイト・クラブ」の主人公は
主人公なのに実は「無名
あのひとの名前はタイラー・ダーデンでもジャックでもない。
その無名性もなんだかメトロセクシャル的です。
てゆーかタイラーダーデンのインパクトがつよすぎて
主人公なのに名前がないことにも気付かれないってのもポイントかもしれない。
私の中で彼はとてもメテロセクシャル。

メトロセクシャル=核家族的恋愛感性のない(『子づくり≠セックス』)都市部の無名人。自分マイラブ。
結構、これって私の中でしっくりきてます。
(あ、あのファイトクラブの主人公はヒロインの女性に恋をするけれど
タイラーダーデンを憎んだり、憧れたりする方で忙しくて
ヒロインとの恋愛どころじゃない!ってのも
まさしくそれ(メトロセクシャル)っぽい。

子どもを育てる場としての「家族」が成立しなくなった場合、
セクシャリティがイコールで異性との恋愛、子作のためのセックスと
結び付かなくなるってのは非常に興味深いです。
しかもそれが自己愛もしくは同性愛に帰結するってのも面白いな。
リサイクルセックス然り、若年層のセックスレス然り。
逆に、同性姻が認められたりPACS法が制定されたりするのも
根源は同じところにあるのではないかと思っています。

ちなみにこの単語、アーティーのファンフォーラムで結構使われてるのです。
アーティーは絶対メトセク!笑」みたいなニュアンスで。
うん。私もアーティーは一般的な意味でも、上記の意味合いでもメトロセクシャル的な部分がなきにしもあらず?
ちょっとちがう?

ところで、ワンカさんがチャーリーに対して
「自由になるために家族を捨てろ」と迫るシーンも非常に今っぽいですね。

これ、個人的に「現行の家族システム」と「個人主義のせめぎ合い」っぽいな〜と思うわけです。
ちなみに現行の家族システムってのは子どもを育てる場としての「家庭」を意味します。
核家族然り、多世帯家族然り、そこに個人主義で独身主義で家族にトラウマのある
ワンカさんが珍入してきて家族を捨てろ!ですからかなりストレート。

ワンカさんはいわゆる社会の成功者でお金があって孤独で家族(父親)との分離にものすごい勢いで失敗している独身者。女性はちょっと苦手。父親という存在もかなり苦手。病的なまでに「両親(parents)」なんて言葉はとてもじゃないけど口に出せない。

もうこれだけでかなり笑えました。もうティム(監督)ってば超ストレート!笑。

私は以前、社会システム論として関してトフラー(第3の波)などを絡めつつ
「現行の家族システムはその機能を失い『家庭』の単位での家族システムは変革を余儀なくされる」
という論文を書いたのですが

今回の映画では現行の家族に「子どもの自由を奪う=家族」を掲げて
ワンカさんが対立してくる。これが思いっきり真向勝負でおもしろいです。
ちなみに現行の家族システムが立ちゆかなくなる理由として
少子化・産業システムの変容などがあげられるのですが
チャーリーの家族が抱える問題もまさにそれ。
高齢者に対して扶養をまかなう働き手が不足するという深刻な問題。
そしてシステム化・オートメーション化と
低賃金の労働力(ウンパルンパ。笑。労働報酬はカカオ!)の流入といった産業構造の変化。
この経済的な変革は社会システムにも影響を与えます。
たとえば貧富の差とか家族とか成功とか失敗とか。
そしてその恩恵に預り、才能に溢れた成功したワンカさん。
運もなくて人脈もなくて競争に負けてしまったチャーリーのパパ。

お金はないけど家族が大好きで、家族が大切で貧乏だけど幸せなチャーリー。
お仕事は楽しくて恋人も家族もいないけど幸せなワンカさん。
自分の孤独にも気付いていないワンカさん。

作中、ワンカさんは自分の頭に白髪を発見していまします。
物語にこのエピソードが入るだけでぴしっとしまるからすごいや。
(でもこれはまさに現行の社会システムのすごく怖いところです。こんなに怖いのにみんな本当には向き合おうとしていない、とても怖いところです)

いろいろ目に見えているようで見えていない、気付いているのに
気付いていない笑いの中に楽しさの中に色々つまっている映画でした。

何がすごいってこの色々なことについて、原作を読んだときも思ったのです。
そして映画でもそれが生きている、形をかえて素敵なかたちで詰まっている。
原作も映画もとても大好き。

この物語はチャーリーが持ってて、ワンカさんが持っていないものによってハッピーエンドを迎えます。
ここらへんが超チャーリーかっこいい。超ワンカさんへたれ大人でかわいい。
どういう形で、なのかはまだわかりませんが、個人的に、結婚と出産以外の方法で家族が増えるという状況が
これからもっと増えるんじゃないかと思っています。
(「ハウルの動く城」でも思ったな、それ。
 だめ大人のハウル包容力のソフィー。そしてカルシファー。
 恋愛というよりは情愛を軸にしたふたりを交えて、
 おばあちゃんに子どもに犬に家族がどんどん増えてゆく。
 家族ってこーゆー風にできあがってもいいのにな〜と思いました)

血縁や婚姻のみによって成立するのではない、
老人も子どもも若年層のカップルも共に暮らしてゆける家族システムは
なんとかして模索されるべきだと思います。
子育ても介護も労働力としての経済の担い手も絶対に必要なものなのですから。
そしてそれが有る程度、長期的なスパンで成立していて
子どもが成長してあらたな生活やあらたな家族を作ることのできる
経済の担い手は定年後もその生活を安定させることのできる
老人は人生を豊かに送ることのできる、システムを
考えなければならないと、思うのですが。ええ。みんなで幸せに。

ところで、アーティーもチャーリーと同じ要素を持っているように思います。
家族に対する思いの部分で。
そしてアルテミス・ファウルでも「(非常に個人的な)自由」と「家族」の対立はありえるのではないかな。
アーティーは非常に利己的な個人主義に走ることのできる可能性のある人物だけに、
それと周囲との関係をどのように成立させるのかな?とか、
まあ、家族との関係に限らず言えることなのですが、さらに言ってしまえば
アルテミスはどのような恋愛をするのかな?という意味でも。

バトラーさんとふたりきりで生きていくなら、他者との関係が問題になることはないのですが
(以前もコラムに書きましたが、バトラーさんがアーティに成長を促すシーン以外での二人はあまりに分離されていない存在なのです)
おそらくはふたりの物語にお互い以外の存在が介入してくるのでしょうね。
それがホリーなのかジュリエットなのかはたまた別の存在なのか、
そしてそれが恋愛なのか対立なのか敵なのか味方なのかはわかりませんが…。
(4巻でアルテミスにもはじめての××ができたことですし!笑)

ああもう楽しみ、チャーリーみたいな破壊力をアルテミスにも期待してます!
あるいはバトラーさんが破壊者でもいいな。<うわ、字面に違和感がない。笑。
ええもう超期待しています。

Posted by asiz at 2005年10月10日 22:25
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