Junk

不幸なこども

あんたに不幸にされた。

面と向かってそう言われたことがある。

その時、その子は泣いていた。
さみしくて泣いて、くやしくて泣いていた。あきらめきれず、
手元から離れてしまったしあわせをあきらめきれずに泣いていた。

責任は誰にある?
自分にあった。この子どもに罪はない。彼は悪事を働いたが、それは自分にすべてをすべてを奪われてしまうほどの悪事ではない。
身の程を知らず、身の丈を知らず、それはこれほどの報いには値しない。

不幸にされた子どもは泣いていた。

どうして、何度も思ったなぜこの子どもをあんなにも欲しがってしまったのか。
あの衝動はどうしたって説明がつかなかった。しかし手に入れて結果として後悔はない。

後悔はないはずなのだが、あんたに不幸にされた、そう言って泣いた子どもの表情を思い出すと
思い出すたびに
思い出すごとに

不自由はさせまいと思うしかし時間が、とても長い時間をかけてしか解決できない問題が、どうしてもそこに残る。

子どもはもう子どもではない、精神も思考も心もすでに子どもではない。
しかし子どものすがたのまま彼はゆるやかにしか年齢をとらない。

これは自分の罪なのだ、報いをうけるべきなのは自分なのだ。なのにそれはこの子にふりかかる。

時間の刑。とりのこされて、おいてゆかれる。誰ともかかわれない。

この罰は自分自身がうけるべきのもの、この子は苦しむべきではない、そんなことで不幸になるべきではない。

ゆっくりと伝えられたら。
とりのこされて?お前はひとりではない。
おいてゆかれる?誰もお前を捨てては行かない、と。
誰とも関われない?お前は確かに、人とつながり合えるのだ、と。

ひとりにはしない。伝えられたら。

end

Last Update : 2006/1/11 (Wed)